学校図書館について

学校図書館を運営するのは学校司書か司書教諭なわけですが、日本では今のところどっちかにはっきりと決まっているわけではなく、学校司書か司書教諭かのどちらかが学校図書館を運営しているという形が多い。
高校など比較的規模が大きく業務が負担になる図書館には学校司書が、比較的軽いところには司書教諭がいるんじゃないかというのが個人的ないめぇじ。
司書教諭というのは教育の業務軽減を行いある程度学校図書館の仕事ができるよう配慮するのが望ましいが、現実それは規定されておらず管理職の好意による。結果、専任であり学校図書館に深く関われる学校司書が良いと思われがちだが、しかし学校司書は「司書資格を持った(学校図書館で働く)事務員」といった人が多く、そのほとんどは教育に関する指導を受けていない。
教育は学校図書館にとって図書館サービスの提供と同じくらい重要な役割ということは自明の理である。明文化されているのは「読書活動の指導」や「利用法の指導」などだが、「学校の教育課程に寄与する」ためにも、授業と連携して図書館サービスを提供するためにも、知識としての教育に関するあれこれは必須であるはずである。しかし、現実は学校図書館と教育に関する知識は必ずしも結び付けられてはいない。
授業との連携、教員との協働意識といった点でも、学校司書は不利である。学会発表でテーマになっていたのは大学の図書館員と教職員との協働意識であったが、学校図書館と学校では顕著であるはずで、教員は教育者ではない司書教諭に協働意識を持つのかどうかは定かではない。学校司書も図書館のプロフェッショナルであっても教育者ではないので、教員のテリトリーに立ち入りにくいのではないか。もちろん同じ教員である司書教諭には協働意識はあるだろうが、司書教諭の場合仕事に余裕がなく授業と図書館の連携や学校図書館の更なる活用のために活動することが難しい。
これらの問題を解決するためには1司書資格に教育の知識を盛り込む、2学校司書(事務員)としての採用で司書教諭資格を必須にする、3司書教諭の業務軽減を義務付ける、などの方策が必要ではないだろうか。
特に、教員免許と司書教諭資格を別個にし、司書と教育の知識を併せ持った資格があり、教員免許がなくとも司書教諭として学校図書館に勤められるようになれば、これから職を探す立場としては非常にありがたい。教員になりたいわけではないが学校図書館に勤めたい人は結構いるはず。
  
と、久しぶりに根拠もないたわごとを言ってみた
詰め込み型教育を問題視してこれからは自分で問題を解決する力とか「生きる力」を養うとかいう説明をして授業をしていたのに、その授業の試験が条文の中の一文抜き出し空白埋めかつ条文名を答えさせる問題だったのに絶望した。(  )を涵養し、とか。結局意味のない暗記なのかと。よりにもよって、授業でそんなことを言っておきながらー
あと「学校司書の専門性」とか、図書館員の専門性でさえ絶対あるわけではなくて今でもどっちつかずの問題なのに、そんなの本当にあるのかと。授業では言ってたのかもしれないけれど。