日本における公共図書館の意義

2007-12-18

こちらからー
難しい話はできないのでゆるくいきます。。


学校図書館は学校で学ぶ学生のためのものですし、ほとんどの市民は学校図書館は利用できいから本を借りるときは公共図書館(この場合市立図書館など)に行きます。求められるニーズも役割も学校図書館公共図書館とは全く違います。



日本はまずおいておいて、アメリカの公共図書館について考えてみましょう
アメリカにおいての公共図書館には、日本における公共図書館とはかなり違って大きな役割があります。
ひとつは移民や貧困層の教育です。日本と違って生活水準や最低限の学力・識字力に大きな差があり、また移民など生活最低限の言語能力に欠けている人たちが多くいるアメリカでは、図書館がそういった人たちの教育を担っています。
また州ごとに法律が違い、生活環境が異なるアメリカでは、引っ越したらまず図書館に行ってその土地のことを調べます。そうしないとその土地では何が禁止されていて何が許されているのか全く分からないからです。
このようにアメリカにとって図書館は「なくてはならないもの」「生きていけないもの」であるのです。


対して日本の図書館はどうでしょうか。
格差も少なく、ほとんどすべての人が高等教育を受けることが出来る日本では、図書館で最低限の教育を行う必要もありません。
また土地による違いも少なく、例えば沖縄に住んでた人がいきなり北海道に引越ししたからといって、生きていくのに困ったりしないはずです。


どちらの図書館も「知識を人々に提供する」ために本の貸し出しを行うことは同じです。
ただアメリカは字を読めない人に教育するのにただ本を貸すだけでは何もできません。「本を貸し出す」以外の「知識の提供」を図書館と図書館員が行っていますし、そのために図書館が必要でありそういったことはアルバイターでは出来ない。そこに専門性が生じるのだと思います。
しかし日本において、例えば投資信託について勉強しようにも、図書館員は何も教えてあげられません。投資信託ついて詳しい本がどれか教えてあげることはできますが、結局はその本を借りて勉強してくださいというしかないのです。
じゃあ公共図書館から「本を貸し出す」という機能を除いたとき、何が残るのか?
「本を貸し出す」という機能しかないのなら、それこそその業務をどこかに委託しても(それが図書館ではなかったとしても)何も問題ないのではないか?
そういった話になったからmim2-flyさんの話になったんだったと思います。

ていうか最低限の保障、っていう面から捉えるとほとんどの人が学校教育を受けていて、生活水準も一定のレベルが保障されている国内だと、公立図書館の存在意義って微妙だよね・・・


多分「本の貸し出しを行う」図書館という機能のみを残す・または何かに委託するのであれば、公共図書館には司書とかいらないしそういった専門性を求めることが無意味なのではないか→公共図書館なくても困らなくない?みたいな話をしてましたよね。。
その場にいたのが大学図書館を専門にされる方でしたので公共図書館側からかなり反論されそうですけど・・・

まあ長々と何が言いたかったかといえば

たとえば世の多くの社会人が公共図書館で利用するような『10万円から始める投資信託入門―初心者のための買い方・売り方ガイド』みたいな本は、小学校で教わる常用漢字の知識に比べればより「最低限」ではない知識で、常用漢字分からなかったら生活には非常に困るけれど投資信託のことなんて分からなくたって死なないんだから、そういう情報を提供する公共図書館学校図書館に比べれば無くても別にいいよね?っていう話だったりするんでしょうか。


そういうことを言ってるんじゃないですよーということを言いたかっただけです。

でもそれを言えば学校図書館も本を貸し出す以外何かをやってるのかと言われれば私は現状を知らないのでなんともいえませんが、これからは教育の支援といった方面でも充実させていくべきだと思うのです。情報リテラシー教育も、公共図書館で行うよりかは学校図書館が学校で行う方が日本に合っていると思いますし。
本を貸し出すだけが図書館ではないと思うし、そうであって欲しいというか。
逆に本を貸し出すだけだと言ってしまえば別に問題でもなんでもないことですが。。
(そうすると司書いらないよね、という話にいきます。)






・・・と、mim2-flyさんの元記事読むとなんだか話が変な方向に脱線してるような気がしてきました。
違ってたらごめんなさい。あと前の続きはまだ書いてません。。