妄想。

以下は深夜何時間にも及ぶ脳の酷使であまりにハイテンションになりすぎて、悟性がぶちっと切れて一線を越えた人たちが交わした会話の内容であり、信頼性のかけらもありません。ただの戯言であり妄想です。


その1

図書館の目的は利益の追求ではない。図書館は利益を構成員に配分していない(というか利益を得ていない)よって、図書館は非営利組織である。
しかし、利益を得てはいけないわけではない。
「図書館の利用は原則無償で行われる」というのは絶対の規則でありアイデンティティである。そのため利用者から利用料をとるといったモデルは絶対禁止だけど、それ以外のモデル、たとえばグーグル的な広告料でかせぐようなモデルなどを用いて図書館が利益を上げることは不可能なのだろうか?

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大阪府市立中央図書館貸出レシートの広告掲載基準(pdf)

横浜市の図書館サイトTOPページ、蔵書検索TOPページの広告募集
実際に掲載されているページ


実施はされているよう。普及しているのかどうかはわからないけれど…
月額2万円が高いのか安いのかは別にして(今度時間があったら調べてみよう)あまり収入にはならないのかな?




その2

営利組織・非営利組織といった考えはそもそも資本主義に則った考え方である。それでは、ベンサムやJ.S.ミルらが提唱した功利主義に基づいて考えれば、図書館の新しい側面が見えてこないだろうか。
功利主義は、快楽と苦痛で物事すべてを判断し、最大多数の最大幸福を社会の最大の目的とする考え方である。ベンサムはあくまで量的に快楽計算を行ったが、ミルは幸福には質があるとして質的功利主義を唱えた。(以上哲学のテスト範囲)資本主義が資本第一の考えであるのに対し、功利主義は幸福を第一においてある。図書館が営利目的でなく、利益も生み出さないのなら資本主義は不適切だ。知識を人々に提供する役割が快楽の一種であると考えるなら、功利主義こそが図書館にふさわしい考え方なのではないだろうか。

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…という議論をしていたのだけれど、調べてみたら、あれか、図書館は従来功利主義的立場で、そのために今の危機的状況があり功利主義は批判される側なのか。マーケティングだ非営利だ云々と資本主義的にとらえることしかしてなかったからむしろ逆な道をたどってしまったのかぁ。なんにしても自分の浅はかさを露呈してしまった形で恥ずかしい。
どっちかに偏らず間を取れたらいいのになぁと思いつつ、でももう思想系の話は当分いいや。



その3

アメリカと日本では図書館のあり方は違う。それは図書館を受け入れる国、土地、人が違うからだ。ではアメリカと日本の土地的・国的な違いは何か?
それは和辻哲郎風土記にある。
アメリカが移住してできた国であるのに対し、日本はその土地に根ざした生活だった。家という概念があり村という概念があった。もともと日本はその土地に定住し、コミュニティを形成して暮らしていたために、なんでもかんでも口に出して説明するようなアメリカナイズなコミュニケーションではなく、口には出して語らないこと(コンテキスト、背景)でコミュニケーションを行っていた。
であるから、そういった日本の特質を汲み取って、日本の図書館もアメリカとは違った特質を持つべきだ。
それは何か。そう、地域貢献である。日本人が昔からその土地に密なコミュニティを形成してきたのと同じく、図書館もまたその地域に根ざしたもの、密なコミュニティの中心となることがもっとも日本に適しているのではないだろうか。

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ここまでくると何をしゃべっているのか理解しているのかも危うい





他にもいろいろ。テスト前は本当にいろんな意味で楽しいね。