妄想その4


イムリーな話題に図書館情報学と司書の職業の話がありますね。
その話について私の考えを書きたいと思います。

すでに日本語がだめだめですが*1

司書の資格・職業と図書館情報学の先生

まず、司書の資格と職業が結びつくのは仕方ないとしても、司書の資格問題と図書館情報学はまったくの別ではないのだろうか?
図書館情報学の先生の働き口のひとつに司書資格講座の講師があるとしても、講師になるために図書館情報学の先生になるわけではない。
(講師は安定した職業の口ではあるが、大学教授の働き口が少ないのは何も図書館情報学に限った話ではないし、自然科学にしてもなんにしても大学レベルの学問の先生になろうとした時点で働き口がないのは承知の上だし。その点では歌手や小説家になりたいというのと同じレベルだというのに賛成。)*2

むしろ、図書館情報学の先生というのは、図書館情報学という学問に貢献するためになるのではないのか?
日本や、それにかかわらず世界的にも図書館情報学という学問の中で図書館というものを総合的に考察し、図書館をよりよくするために活動したいから、先生になるのではないのか?*3


…というより、そうしてほしいという願望なのかな。これは。
私がなりたくてもなれないものになってるんだから、せめてそれぐらいはして欲しいなっていう。


司書の問題と図書館情報学

図書館情報学という学問には「図書館経営」という分野で、日本における図書館の経営、システムや制度について研究するところがある。そして今の日本の図書館制度において司書制度が一種の癌になっているのは自明のことだろう。委託や非常勤、アウトソーシングなどの問題もそこから派生するのではないかと思う。
この状態は今に始まったことではない。かなり前から供給過多に陥る司書資格制度は問題だと言われていた。けれどそれこそ何十年の間、誰もこの問題に手をつけなかった。
癌をそのままにして図書館制度がよりよくなるのは難しい。
そういった意味では図書館情報学(中でも図書館経営において)も司書もなくなってしまえばいいのかもしれない。

しかし図書館情報学において図書館経営とはほんの一分野であり、ほかにより重要な分野や研究を多く抱えている。*4たとえ図書館という組織がなくなっても図書館情報学はなくならないだろう。というか、なくなってはいけない。

司書という職業について

もうちょっとなんとかなる方法を考えてもいいのかなと思った。
たとえ今の司書が散々だとしても、図書館経営という分野はまだまだ重要な要素を含んでいる。
たとえば「場としての図書館」を考えたとき、最近とみに言われ続けている「地域貢献」の立場から、地方の公民館のようなものと図書館との役割というのもこれから重要になってくるだろうと私は考えている。
またそういった地域における図書館の役割といったものを含めて、総合的に勤務する図書館に貢献するのが司書の役割ではないかと思う。
その役割を担うためには従来の習得科目に加えて経営論(数学っぽいものや統計)や地域福祉関係、政治関係他あらゆる知識も必要になってくる。司書という職業により多くの能力が求められることになる。
それこそが司書に必要とされていたことではないか。司書という資格のハードルが高くなれば、教えることが増えるのだし教員の口も広がる。受講者が多くても合格者は少ない。司書もより専門職に近くなるしそうすれば社会的地位の回復も夢じゃない。

難しくなって受講者が減るというのは、それはつまり「簡単で誰でもとれて社会的に必要のない」司書資格が求められているわけであり、そんなものは廃止するにこしたことはない。





最近、自分は文型だから・司書になりたいからという理由で数学を履修しない人に私はちょっと怒っているのです。司書資格試験に解析学でも必修にしたらいいんじゃないかと思う。
あと、司書資格云々と言い試験がどうのこうの言う前に、司書の専門性をもっと考えればいいのにとも言いたい。専門性がないものに資格を付与しても無駄だと思うから。

*1:だれた授業は深夜のハイテンションよりも恐ろしかった

*2:ここらへんは推測の域なので実証できるものは何もないです

*3:生物や数学の先生には「教える」ためだけの先生というのもいるかもしれない。(=講師?)しかし大学の先生というのは、総じて「研究」を前提にしているものと思うし、図書館情報学にはあまり生物化学みたいにがちがちに勉強する科目というのがない。

*4:機関リポジトリとかアーカイブとか、情報リテラシとかいろいろ。情報学系はそれこそかなり進歩してるし