公共図書館の理念からみた自学習者の扱い

公共図書館の閲覧スペースにおける自学習者の話。久々に図書館の話題に意見を付け加えてみる。
  
大体のステレオタイプな意見としては、(試験期間などは特に)公共図書館で自習する学生が机を占領していて、図書館資料を使う本当の利用者が使えない!どうにかして!というもの。ですよね。
それに対して、勉強を進んでやる人たちを無理に追い出してどうするの、公共図書館で勉強くらいさせてやれよ。いやむしろ勉強道具を揃えてやれば図書館資料を使ってることになって大義名分もたつじゃん、みたいな(これは主にmin2-flyさんの意見ですが)
  
自分の意見としては、公共図書館の「理念」*1的に、どうなんだろう、と思うのです。
「自学習者が迷惑」派は、自学習者が机を占領するために「本当の利用者」が机を使えない、と言います。本当の利用者は、例えば図書館資料を利用して調べ者をしたりする人たちのこと。図書館は図書館資料を提供する場所であり、その利用者が図書館の設備を使えないのはおかしい。これは逆に、図書館で自学自習をしている人たちは図書館のサービスの利用者ではないと意味しています。
この意見に対して思うところは、

  • 自学習者は図書館サービスの利用者ではないのか?
  • 図書館サービスの利用者(図書館資料を利用して調べものをしている人)ならば、長時間閲覧スペースを占拠してもいいのか?

ということです。

自学習者は図書館サービスの利用者ではないのか?

ファミレスでは、勉強しているひとは混んでくると追い出されます。なぜならファミレスは料理を出してご飯を食べてもらう、というサービスを提供しているからであり、勉強している人間は(その時点では)サービスの受給者ではなくサービスの提供の邪魔になるからです。
図書館においても、図書館資料を利用する、というサービスを受給する人間が、サービスを利用していない自学習者によってサービスの受給を邪魔されるのは理不尽だ、という意見が多数なのだと思います。
しかし本当に、自学習者は図書館サービスを利用していないのでしょうか?
「図書館の理念」として、答えは「いいえ」だと思います。
図書館法第7条の2により定められている「図書館の設置及び運営上望ましい基準」2の(5)の1では、資料の収集・提供やレファレンスサービスと並列して以下のように規定されています。

(5)多様な学習機会の提供
1住民の自主的・自発的な学習活動を援助するため,読書会,研究会,鑑賞会,映写会,資料展示会等を主催し,又は他の社会教育施設,学校,民間の関係団体等と共催するなど,多様な学習機会の提供に努めるとともに,学習活動の場の提供,設備や資料の提供などによりその奨励に努めるものとする。*2

「望ましい基準」であり、そもそも図書館法には強制力がないのですから、すべての公共図書館がこれに従う必要もありませんし、それは地域の事情によるんじゃないの?という意見は間違っていません。
しかし、「人々の生涯学習の場として,学習活動の振興と文化の発展のために幅広い活動を通して,社会の発展に大きく寄与」*3する図書館の理念として、図書館資料の利用だけが図書館のサービスとはいえない、と私は思います。
もちろん図書館資料の利用は立派な図書館サービスであり、それが満足に与えられないのは大きな問題です。不満をどんどん言っちゃえる立場です。図書館が悪いのです。
しかし、「生涯学習のための場を提供する」ことも図書館サービスの一つだとしてしまえば、自学習者が図書館の設備を利用することもまた、図書館サービスの利用といえないでしょうか。おまえは関係ないから出て行けとはいえないんじゃないでしょうかと思うのです。
  

図書館サービスの利用者(図書館資料を利用して調べものをしている人)ならば、長時間閲覧スペースを占拠してもいいのか?

でも、長時間居座られると迷惑でしょ。他の利用者が困るでしょ、という意見はごもっともです。
しかしそれは、誰に対してもそうなわけで。例えば図書館の閲覧スペースが図書館資料を利用している「正当な」利用者で満席だった場合、「じゃあ仕方ないや」って素直に帰るのでしょうか。
誰だって、それが図書館資料の利用者であろうが学生であろうが、自分がサービスを利用できないと不満に思います。あたりまえです。
それは図書館のキャパの問題です。図書館サービスを受けたい利用者のためのスペースが不足しているのは、図書館の設備の問題であり、設計の問題です。満足にサービスを提供できていないのですから。場所が足りなくても、蔵書冊数が少なすぎて欲しい情報が手に入らないのも、サービスを提供できない図書館が悪いのです。
決して、サービスを利用している利用者が悪いわけではありませんよね。少ない蔵書冊数で補えない情報を欲しがっている人が居て、なんでそんなマニアックな本読みたがるんだよって非難しませんよね。
じゃあ長時間の利用を規制したらどうか、というのも、うーんと悩むところです。
図書館で長時間閲覧スペースを独占するのは、そりゃもう18(19?)世紀の大英博物館の図書館から続いている習慣なのですから、いきなり止めろというのも理不尽ですよね。
新しく公共図書館を作る際は、図書館サービスの利用者を予測して、十分満足にサービスがいきわたるよう設計して欲しいというまでじゃないでしょうか。
  
と、言い方は極端ですが、これはあくまで「図書館の理念」の話。公共図書館は残念なことに組織的な統制方法がないわけで、そのせいで司書は専門職になれないんだよって薬師院さんも言ってるわけですが*4、個々別にそれぞれ自由に判断するしかないんですよね。
だから実際、そこの公共図書館で「自学自習のための図書館設備の利用は図書館サービスとは認めません」と言われてしまえば、さっさと追い出しちゃってもいいんですよね。そこはそういう図書館なんだから。
ただ、言いたかったのは図書館資料の利用は数ある図書館サービスのうちの一つを利用しているのであり、「何か」が図書館に適切か不適切かというのは、それが図書館サービスであるかどうかで判断すべきだと思うわけです。図書館で勉強するのが悪い、ではなく、図書館サービスの利用者が図書館の設備を優先して利用できるように配慮する、という考えであって欲しい。似ているようでちょっと違う。
自学自習は図書館でするべきではない、というのも、理念としては違うんじゃないかなと。法的に定められている図書館の与えるべきサービスとして、学習のための場の利用は認められているけれども、他のサービスの提供を阻害しないために、制限される場合もある。と考える。
  
さて、自分はあえて図書館で勉強する人を「自学習者」といい、生涯学習のための施設だからという詭弁で自学自習を擁護したわけです。
じゃあ、丸山さんが最初に言っていたように、社会教育ではない学校教育はどうか、という話は、さてさて、私が学校で学類長から習った知識が正しければ、社会教育や学校教育、家庭教育をひっくるめて生涯学習というらしいので、その理屈で行けば図書館で学校教育での勉強を容認するのも理念的に間違ってないということになりますね。
でもこれって、「学校の教育課程の展開に寄与する」ことを目的として「学校教育において欠くことのできない基礎的な設備」とまで謡われてる学校図書館がいかに機能不全であるかを証明しているわけですが。公共図書館の図書館サービスの負担にならないために、学校教育は学校図書館で補填してほしいところ。
冒頭の学習資料としての図書館資料も、学校図書館に負担して欲しいところですよね。公共図書館大学図書館よりもさらに組織的にあやふやなイメージしかないなあ。学校図書館

*1:というわけで、理念を誰も逆らえなさそうな法律や公的文書に求めてみたわけです。

*2:http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/13/07/010742.htm#mokuji

*3:「これからの図書館の在り方検討協力者会議」設置要綱

*4:図書館情報専門職のあり方とその養成収録の薬師院はるみさんの論文にて。面白かったから、そのうちまとめて書きたいなぁ。