第7回図書館系勉強会「日本における図書館員養成の歴史:klisへの歩みを中心に」


筑波大学の隅っこで開催している図書館系勉強会の記録です。第7回の今回は「日本における図書館員の養成がどのように行われてきたのか」をテーマに発表していただきました!



きっかけ

  • (大学)図書館員の継続教育・研修と養成は表裏一体
  • 逃れられない、図情OB・OG
    • どこにいっても関係者がたくさん
    • しかし、自分たちはあまり図情について知らない
  • 図書館職員養成の変遷も合わせてみる

  

図書館員養成の黎明

  • 近代以前
    • 各図書館がそれぞれやり方を引き継ぎながら、師弟制度
    • 出版される本の数も少なく、利用者もごく一部だった
    • サ-ビスも閲覧や組織化。今ほどサ-ビスの数は多くない
    • のんびり、じっくり育成できたのでは。完全なるOJT
  • 現代
    • 教育の普及、識字率の上昇により、利用者も増加
    • サ-ビスも多様化してくる
    • 図書館員の質と量が問題になり、図書館員の団体(ALA)が組織されていく
  • Scool of Library Economyの開設(1887年)
    • メルベル・デュ-イの尽力
    • 実務教育が中心
    • 当時は大学院は男性が中心だが、SLEは女性がほとんどだった
      • コロンビア大から追い出されるが、ニュ-ヨ-クに移る
    • 図書館サ-ビスの標準化に寄与した
    • 卒業生が図書館学校を設立するなども

  

日本おける図書館員養成

  • 日本文庫協会設立(1892年)
    • 日本で初めての図書館員の団体
    • 田中稲城の提唱:欧米の流れを取り入れる
    • 東京在住者限定
  • 関西文庫協会設立(1900年)
  • 第1回図書館事項講習会(1903年
    • 2週間
    • 正科と課外講演
    • 詳しくはスライド9に
  • 第1回全国図書館員大会(1906年
    • 文部省に職員を養成する講習を開催するよう建議を提出
  • 文部省による夏期講習会(1908年)
    • ただしわずか2科目であった
    • 経済的に弱かったため
  • 図書館員教習所(1921年
  • 図書館員講習所(1925年)

  

戦前の図書館員養成

  • 図書館員養成所同窓会同窓会三十年記念誌
    • 「三十年徒に月日が流れただけの…貧弱な姿」
    • 建物も良くはなかった
  • 図書館員教習所から講習所
    • 24年間で532名
      • 女性が146人
    • 資格は中学または高等女学校卒業した者、もしくは現職者
    • 後に応募者多数により入学試験を設けるように
    • カリキュラム
      • 英語だけでなくドイツ語、フランス語、自然科学なども
      • 語学に力を入れ、図書館学以外の学習も行なっていた
    • 修了生だからといって図書館に就職できたわけではないのは、今の現状とも似ている
    • 戦争の影響で、1945年に閉鎖、終戦
  • 文部省による検定試験の実施
    • 1937年から1943年まで7回実施された
    • 7回で113名が合格。内講習所修了生が102名
    • 本来は講習所生以外が対象だったが実質は修了生が多数を占めた
    • 合格したからといって、待遇の改善などが約束されていたわけではなかった

  

戦後の図書館員養成

  • 帝国図書館付属図書館員養成所(1947年)
  • 図書館法の交付(1950年)
    • 大学での司書課程に移行していく
  • 日本図書館学校(Japan Library School)(1951年)
    • 米軍陸軍省によるプロジェクト(予算10万ドル)
    • ALAからダウンズ博士が派遣された
    • 慶応義塾大学が受け入れることに(検討は半年ほど)
    • ギトラ-が教員として派遣される(が後に撤退する)
    • 日本発の大学レベルの司書養成
    • 後の慶応大学文学部図書館学科になる
  • 大学における司書養成課程の誕生
  • 戦後まとめ
    • 戦後直後にアメリカの援助から急速に整備される
    • しかし、司書講習、課程、専門課程など乱立した
      • どこを出ても資格は一緒だが…
    • 社会に重要性が認められていないという現状は今も昔も変わらない
  • 今後どうあるべきだろうか?