第7回図書館系勉強会「日本における図書館員養成の歴史:klisへの歩みを中心に」
筑波大学の隅っこで開催している図書館系勉強会の記録です。第7回の今回は「日本における図書館員の養成がどのように行われてきたのか」をテーマに発表していただきました!
図書館系勉強会資料(永見,20111118)
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きっかけ
- (大学)図書館員の継続教育・研修と養成は表裏一体
- 逃れられない、図情OB・OG
- どこにいっても関係者がたくさん
- しかし、自分たちはあまり図情について知らない
- 図書館職員養成の変遷も合わせてみる
図書館員養成の黎明
- 近代以前
- 各図書館がそれぞれやり方を引き継ぎながら、師弟制度
- 出版される本の数も少なく、利用者もごく一部だった
- サ-ビスも閲覧や組織化。今ほどサ-ビスの数は多くない
- のんびり、じっくり育成できたのでは。完全なるOJT
- 現代
- 教育の普及、識字率の上昇により、利用者も増加
- サ-ビスも多様化してくる
- 図書館員の質と量が問題になり、図書館員の団体(ALA)が組織されていく
- Scool of Library Economyの開設(1887年)
- メルベル・デュ-イの尽力
- 実務教育が中心
- 当時は大学院は男性が中心だが、SLEは女性がほとんどだった
- コロンビア大から追い出されるが、ニュ-ヨ-クに移る
- 図書館サ-ビスの標準化に寄与した
- 卒業生が図書館学校を設立するなども
日本おける図書館員養成
- 第1回図書館事項講習会(1903年)
- 2週間
- 正科と課外講演
- 詳しくはスライド9に
- 第1回全国図書館員大会(1906年)
- 文部省に職員を養成する講習を開催するよう建議を提出
- 文部省による夏期講習会(1908年)
- ただしわずか2科目であった
- 経済的に弱かったため
- 図書館員教習所(1921年)
- 図書館員講習所(1925年)
戦前の図書館員養成
- 図書館員養成所同窓会同窓会三十年記念誌
- 「三十年徒に月日が流れただけの…貧弱な姿」
- 建物も良くはなかった
- 図書館員教習所から講習所
- 24年間で532名
- 女性が146人
- 資格は中学または高等女学校卒業した者、もしくは現職者
- 後に応募者多数により入学試験を設けるように
- カリキュラム
- 英語だけでなくドイツ語、フランス語、自然科学なども
- 語学に力を入れ、図書館学以外の学習も行なっていた
- 修了生だからといって図書館に就職できたわけではないのは、今の現状とも似ている
- 戦争の影響で、1945年に閉鎖、終戦
- 24年間で532名
- 文部省による検定試験の実施
- 1937年から1943年まで7回実施された
- 7回で113名が合格。内講習所修了生が102名
- 本来は講習所生以外が対象だったが実質は修了生が多数を占めた
- 合格したからといって、待遇の改善などが約束されていたわけではなかった