堺市立図書館BL問題は図書館ではなく、出版側の問題。

いろんな人に言及され話題になった堺市立図書館BL問題。
"いわゆる"BL小説を図書館で普通に開架していたところ、利用者から子供の健全云々でクレームがついたため、一旦図書館側がBL本を閉架&年齢制限措置を設けたためにどこの検閲機関だと非難をあびた問題。今はBL本が閉架にし、リクエストがあれば(誰にでも)貸し出すことになっている。
これは、図書館が検閲のような措置を取ったことが図書館側の反感を買い、あげくBL本が対象になったことで"いわゆる"腐女子側からも大きくな反響があった。
図書館に関する問題は、検閲云々からBL本を購入・貸し出しすることの妥当性、選書基準、教育機関という側面やクレームへの対処など。図書館はそのクレームや何らかの問題に対する判断、措置に神経質になりがち。
対して腐女子側としては、社会からBLや腐女子、オタクが主にマスメディアであからさまな偏見を持って書かれること、官能小説はよくてBLはなぜだめなのか、「男同士」への非難、BL本は性的文学ではなく恋愛小説だ、ということが話題になった。好きな物を非難されて黙っていられない、という感じかな。
そしてさらに議論がわけの分からないものになったのは、この図書館側の問題と腐女子側の問題がごっちゃになって議論されていたため。あらためて見ると分かるが、図書館が不健全な図書をどう扱うかという問題と、BL本の世間一般の扱いの問題はまったく異なっている。
今回の問題は、今まで見て見ぬ振りをされてきたBL本が社会的に言及されたためにスキャンダラスなものになった。
BL本の市場は、Amazonでも見れば分かるが、いまや無視できないほどにとてつもなく大きなものになっている。BookPage本の年鑑でも、いつからかしらないがBL本専用の分類ができている。図書のテーマの如何に関わらず、これだけの市場を持つことは、供給に対して需要があるということで、市場が大きくなるにつれBLは市民権を得ていく。昔は日陰を歩いてた存在だったのが今や胸を張って堂々と本屋で展開されている。自信がついたのか、表紙なども以前は配慮があったのに、今は日を追うごとに過激になっている。
しかし、男同士の恋愛というタブーなテーマの図書であるために、BL本について今まで誰もまっとうに取り組んでこなかった。出版側がどんどん過激になっていくのを止められなかったのである。市場の大きさに対してそんな対応しかできなかったことこそが問題だったと自分は思うのだ。(BLのテーマに対しての問題ではなく、あくまで"過激な性表現"の図書が易々と出版されてしまったことに対して)
BL本のそのテーマ性のために非難されるのはおかしい。
しかし、だからといって社会への配慮をしなくていいわけではない。とくに性的表現については、映画でのR-18の表示などのように、ある一定の明確な基準に沿っての分類が必要ではないか。
そしてそれは、もちろんBL本に限られることではなく、すべての図書に適用されるものであるべきだ。そうすれば、図書館はそれに沿って選書も開架も工夫できる。"性的表現の激しい"BL本か、という問題ではなく、"性的表現の激しい"図書か、という問題に一般化される。子供にたいして配慮したいなら、そうするのが手っ取り早いのではないか。そしてそれを行うのは出版か、本屋か、なんらかの公的機関であり、図書館ではない。
(「チャタレイ夫人裁判」みたいに、性的表現によって表現の自由が阻害されるわけではなく、単に基準となるだけで出版規制などではないし。その後の運用には不安があるが)
(そして図書館は、図書館自身がなんらかの措置を勝手に取るのは本当に出すぎた行為で、BL本に対するクレームなどにしても、出版や本屋が何の措置も取らないのが悪いんだと責任転嫁するのが一番明解だと思う)